船越義豪 先生 (1906 – 1945)


船越義珍先生の三男・義豪先生は17歳のおり父を頼って沖縄より上京した。文部省の体育医事相談所のレントゲン技師を勤めていた。
各大学の空手部の師範代を努めていた下田武先生亡き後、師範代となり各大学の空手部の指導に当たった。
技術的には義珍先生の空手術を忠実に体得した上で、さらなる技の工夫発展に心血を注いだ。
大極の型、組手「天の型」、棍の型「松風」の考案に当たっては中心的役割を果たすなど、松濤會空手道の技術体系の整備・確立に多大の貢献をされた。
大日本空手道松濤館建設では主体的役割を果たした。



